約200年前に日本からアメリカまで漂流した日本人たちに海外びっくり仰天!(海外の反応) - 海外のお前ら 海外の反応

約200年前に日本からアメリカまで漂流した日本人たちに海外びっくり仰天!(海外の反応)

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(スレ主)1832年に名古屋から東京に向かっていた船が漂流した。
1834年になり、現在のワシントン州に流れ着く。
14名の乗組員のうち、生き残ったのは3名だけだった。

海外の反応をまとめました。

音吉(おときち、文政2年(1819年) - 慶応3年(1867年)1月18日)は、江戸時代の水主・漂流民。後にはジョン・マシュー・オトソン (John Matthew Ottoson) と名乗った。1819年(文政2年)尾張国知多郡小野浦(現・愛知県知多郡美浜町)に生まれる。 1832年(天保3年)10月、米や陶器を積んだ宝順丸(船頭樋口重右衛門)が江戸に向けて鳥羽に出航(乗組員船頭以下13名)したが、途中遠州灘で暴風に遭い難破・漂流した。14ヶ月の間、太平洋を彷徨った末、ようやく陸地に漂着したときには、生存者は音吉を含め岩吉(旧姓岩松・尾張国愛知郡熱田(現・名古屋市熱田区)出身)、久吉の3名(3名を「三吉」と呼んでいた)のみであった。残りの乗組員は壊血病などで亡くなった。

https://bit.ly/3e3kXFc
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・すごい奴らだ。



・「それでさ、豚肉みたいな味がするって本当なの?」



・↑人食いはなかったとされている。



・↑たまに冗談が通じないことってあるよね。



・↑ちょっとワロタ。
肩の力を抜いた方がいい連中もいる。



・↑あなたのことを笑わせることが出来て良かった。



・この人たちって世話をしてくれた人にお礼に刀をプレゼントして、今でもワシントンにその刀があるとされている人たち?



・グーグルマップで名古屋と東京を見てみろよ。
彼らは本来の100倍以上の距離を移動した。



・とんでもない航行ミスだな。



・風って強いんだな。



・つまりちょっとだけコースを逸れたってことね。



・ワシントン州初の寿司屋かな。



・最近、彼らが漂着したフラッタリー岬を訪問したが、超良かった。



・↑少なくとも彼らの旅には価値があったということだね。



・まだ映画化されていないとしたら、凄い映画になる。



・それだけ大きな船を3人だけで動かすのは大変だったに違いない。



・海上での2年以上もの断末魔の苦しみを想像することはできない。



・みんなが思っているよりも、こういうことってよくあったんだろうね。
でも日本人なら日本に戻ることを選ばなかっただろう。
国から出ることは違法で、死罪だった。

コメント

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生き残った3人は初めて外国人と出会ったと思うが、言語の壁でコミュニケーションは問題が無かったのだろうか。

ワシントンには我々の先祖の面倒をみてくれてありがとうと言いたい。



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補足すると、
遠州灘や熊野灘は、いったん出ると逃げる港があまりないわりに荒れやすいからこういうことはよくあったらしい。
特に江戸中期以降は商品経済化が進み、開運が盛んなわりに江戸幕府が外洋で貿易できないように様々に船舶業を規制した。

例えば、帆は大きなもの一枚しか許可しなかったから、シケると危険で、結局帆柱を切り落としてボウズ船になる。また舵もおおきなものひとつで折れやすい。船の大きさも小さいから過積載になりやすい。

そういうこともあって海難は日常的であった。ある事故は海流にのって絶海の奇岩、孀婦岩の横を通ってぐるっと回ってフィリピンについたもの。
ジョン万次郎のように鳥島に流れ着いてハワイに行ったもの。
アリューシャン列島付近に流れ着き地元民に奴隷としてこきつかわれていたところをロシア人に救われた者など、様々いた。

再び帰国ができないものが殆んどで幸運にも帰国できても、国禁を犯した渡航者として、幕府が軟禁させることもあった。

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当時はイギリス領だろバカども

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日本人なら日本に戻ることを選ばなかっただろう、国から出ることは違法で、死罪だった。

へ〜そうなんだ!全然知らなかった。
音吉は帰国を望んでいて、なんとか帰ろうとしたみたいだけど。

インディアンに助けられたけど、奴隷としてこき使われて、さらにはイギリス船に売り飛ばされ、ロンドン→マカオ→琉球→江戸(上陸出来ず)→マカオ→上海→浦賀(上陸せず)→ 上海→シンガポール
と結局日本には帰れなかったけど、息子に自分の代わりに日本へ帰って欲しいとの遺言を残し、シンガポールにて病死した。だってさ。

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小説読んだけどね、日本で映画化はないだろ
大団円でないし、日本政府あかんとこやってるし反日映画いわれるでw

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それでも夜は明けるのちょっと前だな
差別の激しかったころだ

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当然外洋船じゃないだろうし、本当に幸運で辿り着いたんだろうな

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ジョン万次郎は運が良い&頭も良いケースだったんだな

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・それだけ大きな船を3人だけで動かすのは大変だったに違いない。
  →漂流だし動かしてないしw

・海上での2年以上もの断末魔の苦しみを想像することはできない。
  →14ヶ月だし1年ちょっとw

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大型船作ったら駄目な時代だしなぁ
海洋国家になったのは明治からと言ってもいい

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ヒント 海流

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1ヶ月ぐらい前に昼~夕方のNHKで特集してたな。これ。(再放送?)

伊勢から千島→シベリア→ロシアのエカテリーナ女王に謁見
→後見人のラックスマンに連れられて日本に帰ってきた大黒屋光太夫の話は
映画化するほど、ある意味栄光もあるが、
音吉の話は船の中で何も出来ず餓死を待つという絶望しかなかった。
しかもNHKの番組はアメリカに着いてからは、あっさりアラスカに移動→そこから日本へ、と
1分程度しか割いてなかった。

 

大悲劇じゃん

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人肉食ったという子孫を侮辱する言葉が冗談で済む国ってすげーな
だから人種差別もなくならないんだよ

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>アラスカに移動→そこから日本へ、と1分程度しか割いてなかった。

その後、時間を30分延長してその辺り詳しくやってるのだが、1ヶ月前ってそれじゃない? ロシア人と一緒に対日貿易をやらないかと誘われたが、仲間の慰霊碑を建てる約束をしていたから断って帰国したとか、そんな話。

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あれ? NHKでやってたのは「船頭重吉」で、漂流したのは1813年から?
この話とは別なのか

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翻訳コメにもこのコメント欄にもまだないが
>アメリカ太平洋岸のオリンピック半島・フラッタリー岬付近にたどり着いた彼らは、現地のアメリカ・インディアン(マカー族)に救助される。(音吉の「栄力丸漂流記」の記述から、エスキモーだったという説もある。)
>しかし、インディアンは彼らを善意で助けたわけではなく、後に奴隷としてこき使った。さらにはイギリス船に売り飛ばし、代わりに金物を得た。
日本人が奴隷にされる件はどうでもいいんですね、英語圏の皆さん。

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日本船、よく漂流してるんだな。
フィリピンに漂着して、現地人に捕まったときは奴隷にされ、次に漂着した組はスペインが統治していたから日本に送り返して貰えたなんて話もあった。今のBLM運動など見てると感慨深いものがある。

 

時代が下った江戸末期はジョン万も含めて まだ良かった方だな。
それでも漂流民を送ってくれた外国船を追い返したモリソン号事件など泣けてくるで。
目の前にある日本の土さえ踏めず、さぞ無念だったろうよ。
光太夫一行は露だから場所が悪かったし、ジョン万は黒潮のお陰でええトコ行けたしの。

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無人島長兵衛

名無しよん

>当時はイギリス領だろバカども

というより「係争地」だろうな、1834年のフラッタリー岬なら。政治上の争点になってくるのはもう少し後だけれども。

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江戸時代300年、こんな造船技術の衰退しかない政策やっててよく日本は海軍大国になれたもんだな。
明治の人どれだけ勤勉に勉強したんや・・・。

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三浦綾子が「海嶺」という題名で小説にしている。
1983年に、貞永方久監督、西郷輝彦主演で映画かされた。
DVDも出てるし、テレビでも放送されている。

だけど史実の方がより面白い。

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アメリカって知能が先進国平均以下の住民が大半なのに地図を見て日本からの距離が分かるなんてすごいね

なんだよジョークだろ本気にするなよ

あごめん事実だった

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大黒屋光太夫と混同している人がいますね。

それから、千石船(弁財船)の構造や航海性能は明治以来、100年来
貶され続けてきたけれど、最近の研究では決して劣ってはいなかった
ことが次第に明らかになっている。

一本柱の主帆しか認めなくなってしまったのは、まずかったけど、
弁才船は意外と堅牢で、波切(逆帆)航海性能も優れていたんだ。
構造的に、竜骨がないことはそれほど劣っていたわけではない。
櫓穴を塞いでしまい、帆走航海だけでそれもごく少人数で航海
できたことは、技術的にもすごいもんだよ。

1780年代に、三国丸という画期的な船を造ったものの、それで重商主義
政策を取ろうとした田沼意次が失脚してしまったのが惜しかった。

-

音吉の生涯はすごいよ。
非武装の商船モリソン号を軍艦と誤認して、しかも日本人漂流民をわざわざ送り届けに来てくれたモリソン号を砲撃して追い返してしまった恥さらしな事件となった。
これが、蛮社の獄を起こして、明治維新に繋がったわけだし。

wiki/音吉

を調べて読んでみればわかるけど、単純な悲劇の人生なんてもんじゃない。とにかく感心して
呆れるほどポジティブな人生を送った人だよ。

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三浦綾子の海嶺よりも、春名徹さんの『にっぽん音吉漂流記』の方が面白い。
今、ハリウッドで映画化が予定されているのは、
柳蒼二郎の『海商』をもとにしたものとなるそうなので、後半の大活躍も描かれそう。

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戦国時代までは、中韓・東南アジア貿易でブイブイいわしてた。
丼はタイのトンブリー王朝
カボチャはカンボジア
など今も足跡がある。
ヨーロッパまで使節団を送れるほど、外洋航海術は発展していたのに・・・。

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歌舞伎の、海外で妖術を会得してきた天竺徳兵衛みたいな話は
そういう漂流者をモデルにしてたのかな
今で言えば異世界に行って剣術を身につけて帰ってきた
ソードアートオンラインみたいなイメージか?

-

まぁジョン万次郎なんかは普通にアメリカで新聞社に就職したりしてたからなぁ

名無し

海の上ばかりの映画を見たいか?w

かごめ

確か、原住民にとらえられ、奴隷にされた。それは漂着民は現地の決まりで奴隷にできると決まっていたが、日本人は手紙を白人の支配者に渡した。するとこの文字は確か太平洋の反対側にあるチャイナのような文明人の者だと分かり助けられた。当時は白人は原住民のルールには口を出さないことになっていてしばらく奴隷だった。助けられた後ドラマチックになったのだろう。

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漂流とはちょっと違うが、1854年頃のロシアのエフィム・プチャーチンに纏わる「ヘダ号」の話は結構面白い。プチャーチンはロシア使節だったのだが、安政東海地震によって本来の乗艦であったディアナ号が座礁・沈没してしまった。ロシアに帰るための船を失ったプチャーチンは江戸幕府に帰国のための船の建造を請願して幕府はこれを認め、日本人とロシア人が共同でヘダ号と言う新しい船を建造し、それでプチャーチン達はロシアに帰ったって話。この時に船大工の棟梁の一人だった上田寅吉は後に「日本造船の父」と呼ばれる人物で、日露海戦に関わる軍艦の建造にも関わってたりする。調べてみると当時の世界情勢とも色々関わってて結構面白い。

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10年くらい前にハリウッド映画化するなんてニュースを見たけどどうなったのかな?
続報を聞かないってことはポシャったかな。アヘン戦争のこととかも描写するに当たってアソコから圧力が来たんだったりして
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kaigainoomaera

海外のお前ら 海外の反応管理人です。
政治からアニメまで色々なトピックに関する海外の反応をまとめます。
2019年7月にブログをhttps://kaigainoomaera.com/に移行しました。
旧ブログはhttp://blog.livedoor.jp/kaigainoomaera/

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