音吉(おときち、文政2年(1819年) - 慶応3年(1867年)1月18日)は、江戸時代の水主・漂流民。後にはジョン・マシュー・オトソン (John Matthew Ottoson) と名乗った。1819年(文政2年)尾張国知多郡小野浦(現・愛知県知多郡美浜町)に生まれる。 1832年(天保3年)10月、米や陶器を積んだ宝順丸(船頭樋口重右衛門)が江戸に向けて鳥羽に出航(乗組員船頭以下13名)したが、途中遠州灘で暴風に遭い難破・漂流した。14ヶ月の間、太平洋を彷徨った末、ようやく陸地に漂着したときには、生存者は音吉を含め岩吉(旧姓岩松・尾張国愛知郡熱田(現・名古屋市熱田区)出身)、久吉の3名(3名を「三吉」と呼んでいた)のみであった。残りの乗組員は壊血病などで亡くなった。
kaigainoomaera
海外のお前ら 海外の反応管理人です。
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コメント
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ワシントンには我々の先祖の面倒をみてくれてありがとうと言いたい。
2020/06/15 URL 編集
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遠州灘や熊野灘は、いったん出ると逃げる港があまりないわりに荒れやすいからこういうことはよくあったらしい。
特に江戸中期以降は商品経済化が進み、開運が盛んなわりに江戸幕府が外洋で貿易できないように様々に船舶業を規制した。
例えば、帆は大きなもの一枚しか許可しなかったから、シケると危険で、結局帆柱を切り落としてボウズ船になる。また舵もおおきなものひとつで折れやすい。船の大きさも小さいから過積載になりやすい。
そういうこともあって海難は日常的であった。ある事故は海流にのって絶海の奇岩、孀婦岩の横を通ってぐるっと回ってフィリピンについたもの。
ジョン万次郎のように鳥島に流れ着いてハワイに行ったもの。
アリューシャン列島付近に流れ着き地元民に奴隷としてこきつかわれていたところをロシア人に救われた者など、様々いた。
再び帰国ができないものが殆んどで幸運にも帰国できても、国禁を犯した渡航者として、幕府が軟禁させることもあった。
2020/06/15 URL 編集
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2020/06/15 URL 編集
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へ〜そうなんだ!全然知らなかった。
音吉は帰国を望んでいて、なんとか帰ろうとしたみたいだけど。
インディアンに助けられたけど、奴隷としてこき使われて、さらにはイギリス船に売り飛ばされ、ロンドン→マカオ→琉球→江戸(上陸出来ず)→マカオ→上海→浦賀(上陸せず)→ 上海→シンガポール
と結局日本には帰れなかったけど、息子に自分の代わりに日本へ帰って欲しいとの遺言を残し、シンガポールにて病死した。だってさ。
2020/06/15 URL 編集
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大団円でないし、日本政府あかんとこやってるし反日映画いわれるでw
2020/06/15 URL 編集
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差別の激しかったころだ
2020/06/15 URL 編集
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2020/06/15 URL 編集
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2020/06/15 URL 編集
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→漂流だし動かしてないしw
・海上での2年以上もの断末魔の苦しみを想像することはできない。
→14ヶ月だし1年ちょっとw
2020/06/15 URL 編集
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海洋国家になったのは明治からと言ってもいい
2020/06/15 URL 編集
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2020/06/15 URL 編集
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伊勢から千島→シベリア→ロシアのエカテリーナ女王に謁見
→後見人のラックスマンに連れられて日本に帰ってきた大黒屋光太夫の話は
映画化するほど、ある意味栄光もあるが、
音吉の話は船の中で何も出来ず餓死を待つという絶望しかなかった。
しかもNHKの番組はアメリカに着いてからは、あっさりアラスカに移動→そこから日本へ、と
1分程度しか割いてなかった。
2020/06/15 URL 編集
2020/06/15 URL 編集
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だから人種差別もなくならないんだよ
2020/06/15 URL 編集
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その後、時間を30分延長してその辺り詳しくやってるのだが、1ヶ月前ってそれじゃない? ロシア人と一緒に対日貿易をやらないかと誘われたが、仲間の慰霊碑を建てる約束をしていたから断って帰国したとか、そんな話。
2020/06/15 URL 編集
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この話とは別なのか
2020/06/15 URL 編集
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>アメリカ太平洋岸のオリンピック半島・フラッタリー岬付近にたどり着いた彼らは、現地のアメリカ・インディアン(マカー族)に救助される。(音吉の「栄力丸漂流記」の記述から、エスキモーだったという説もある。)
>しかし、インディアンは彼らを善意で助けたわけではなく、後に奴隷としてこき使った。さらにはイギリス船に売り飛ばし、代わりに金物を得た。
日本人が奴隷にされる件はどうでもいいんですね、英語圏の皆さん。
2020/06/15 URL 編集
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フィリピンに漂着して、現地人に捕まったときは奴隷にされ、次に漂着した組はスペインが統治していたから日本に送り返して貰えたなんて話もあった。今のBLM運動など見てると感慨深いものがある。
2020/06/15 URL 編集
それでも漂流民を送ってくれた外国船を追い返したモリソン号事件など泣けてくるで。
目の前にある日本の土さえ踏めず、さぞ無念だったろうよ。
光太夫一行は露だから場所が悪かったし、ジョン万は黒潮のお陰でええトコ行けたしの。
2020/06/15 URL 編集
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2020/06/15 URL 編集
名無しよん
というより「係争地」だろうな、1834年のフラッタリー岬なら。政治上の争点になってくるのはもう少し後だけれども。
2020/06/15 URL 編集
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明治の人どれだけ勤勉に勉強したんや・・・。
2020/06/15 URL 編集
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1983年に、貞永方久監督、西郷輝彦主演で映画かされた。
DVDも出てるし、テレビでも放送されている。
だけど史実の方がより面白い。
2020/06/15 URL 編集
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なんだよジョークだろ本気にするなよ
あごめん事実だった
2020/06/15 URL 編集
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それから、千石船(弁財船)の構造や航海性能は明治以来、100年来
貶され続けてきたけれど、最近の研究では決して劣ってはいなかった
ことが次第に明らかになっている。
一本柱の主帆しか認めなくなってしまったのは、まずかったけど、
弁才船は意外と堅牢で、波切(逆帆)航海性能も優れていたんだ。
構造的に、竜骨がないことはそれほど劣っていたわけではない。
櫓穴を塞いでしまい、帆走航海だけでそれもごく少人数で航海
できたことは、技術的にもすごいもんだよ。
1780年代に、三国丸という画期的な船を造ったものの、それで重商主義
政策を取ろうとした田沼意次が失脚してしまったのが惜しかった。
2020/06/15 URL 編集
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非武装の商船モリソン号を軍艦と誤認して、しかも日本人漂流民をわざわざ送り届けに来てくれたモリソン号を砲撃して追い返してしまった恥さらしな事件となった。
これが、蛮社の獄を起こして、明治維新に繋がったわけだし。
wiki/音吉
を調べて読んでみればわかるけど、単純な悲劇の人生なんてもんじゃない。とにかく感心して
呆れるほどポジティブな人生を送った人だよ。
2020/06/15 URL 編集
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今、ハリウッドで映画化が予定されているのは、
柳蒼二郎の『海商』をもとにしたものとなるそうなので、後半の大活躍も描かれそう。
2020/06/15 URL 編集
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丼はタイのトンブリー王朝
カボチャはカンボジア
など今も足跡がある。
ヨーロッパまで使節団を送れるほど、外洋航海術は発展していたのに・・・。
2020/06/15 URL 編集
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そういう漂流者をモデルにしてたのかな
今で言えば異世界に行って剣術を身につけて帰ってきた
ソードアートオンラインみたいなイメージか?
2020/06/15 URL 編集
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2020/06/15 URL 編集
名無し
2020/06/16 URL 編集
かごめ
2020/06/16 URL 編集
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2020/06/17 URL 編集
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続報を聞かないってことはポシャったかな。アヘン戦争のこととかも描写するに当たってアソコから圧力が来たんだったりして
2020/06/22 URL 編集