(スレ主)封建時代の日本の侍の裕福さは、石で表されることを今日初めて学んだ。
一石は一人を一年間食べさせられる米の量。
180リットルに相当する。
海外の反応をまとめました。
石高(こくだか)とは、近世の日本において、土地の生産性を石という単位で表したもの。太閤検地以降、地租改正まで、大名・旗本の収入および知行や軍役等諸役負担の基準とされ、所領の規模は面積ではなく石高で表記された。また農民に対する年貢も石高を元にして徴収された。 ウィキペディア
https://bit.ly/34dLwW1
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・ああ、でも年月を経て価値は変わった。
一石は一月分になった。
・↑本当に欲張りになったものだ...。
・↑インフレって辛い。
・↑ライスレーションと呼ばれるものだぞ。
・最初は一家の一年分じゃなかったか?
Shogunで読んだぞ。
・何粒なのか誰か計算できる?
・↑少なくとも7粒。
・↑それは事実ではない。
私は米を食べなくても、1年生きられる。
・↑それって意外と大変だぞ。
・↑マウンテンデュー、ドリトス、ピザが主食なら問題ない。
・↑ドリトスには米粉が含まれていないか?
・これは前にも聞いたことがあるけど、憶えているのはShogun(別名Shogun SwordやIkusaで知られるボードゲーム)のおかげ。
誰が赤のプレーヤーになるかで喧嘩になる。
赤は大名だから。
・私は10歳の時にこれを学んだぞ!
・↑Shogunだろ。
・私はトータルウォー:ショーグン2でこれを学んだ。
最高のゲームの一つ。
・フッ、俺はトータルウォー・ショーグンで学んだ。
・↑僕はLegend of the Five Rings。
・サムライのTIL(私が今日初めて学んだこと)をもっと頼む。
コメント
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2020/08/20 URL 編集
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ここの冒頭で言われていることそのままじゃない。
2020/08/20 URL 編集
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それ、いっこく堂
2020/08/20 URL 編集
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米の奴隷みたいだわ
2020/08/20 URL 編集
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外国人でも日本好きは普通に知ってる人がちらほらいて凄いなと思うわ
2020/08/20 URL 編集
( ͡° ͜ʖ ͡°)♫ ハイッ! ♫
一石は一月分になった。
( ;∀;) えっ? 初めて聞いた!
交換価値は変動があるだろうが、
喰うぶんには変動はないはずだが・・・
2020/08/20 URL 編集
( ͡° ͜ʖ ͡°)♫ ハイッ! ♫
ってか、学校の先生が「だいたい一人の食い分や」とか言ってたぞ。まあ、教科書には載ってないか。
でも、所詮穀物だろう? 最終的に誰かが喰わないと腐るばかりだぞ。だから「農民はヒエアワばかり食ってた説」に大いに疑問を持ってる。
なんだかんだ「手間取り」(アルバイト)で武士・商人・職人らの食い分以外は還流していたんじゃないのか? 農村には余剰労働力が結構あった。だからこそ明治以降、出稼ぎができるわけで。
2020/08/20 URL 編集
( ͡° ͜ʖ ͡°)♫ 秀吉が変えた! ♫
「一反は300歩」
一歩=1フィート=60cm
×300 ×300 で、3万㎡超える・・計算が合わない
と思ったら、一歩は一坪のことだった、1フィートじゃなかった・・
一坪3.3㎡×300で約1000㎡、10a(アール)。
今でも米の単位当たりの収穫量を10aあたり400kgとか新聞に書いてある。
2020/08/20 URL 編集
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分かってないなぁ米を金に変えたり物々交換に利用したりして
主食をヒエやアワで済ませる訳だよ
米だけ食って生きる訳じゃねぇからな
2020/08/20 URL 編集
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母親がライス嫌いなんで家では食べることはない。ちなみに両親は
ガラナアンタルチカが大好き。
2020/08/20 URL 編集
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根菜類の味噌汁とアワやヒエなどの雑穀をそれに入れたものが
ほとんど。大河の時代考証を担当してる東大の歴史学の先生が
「米を食べられたのは公家と大名と大店くらい。江戸の庶民は
雑穀入りの味噌汁だった」と言ってた。
2020/08/20 URL 編集
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主食をヒエやアワで済ませる訳だよ
米だけ食って生きる訳じゃねぇからな
まったく経済を理解してない
2020/08/20 URL 編集
名無しさん
江戸以北の地域の話を日本全国の標準にされても困る訳だよ
まぁ、精米した白米(銀シャリ)をバクバク食べれたのは確かに大名とか富豪だけだがね…
西日本は基本的にそこまで米不足になる地域は無かったよ…主食が玄米で何食かの合間に雑穀入りの飯を食うレベル(ただし、おかずに関しては悲しい位に貧弱だったりする)
2020/08/20 URL 編集
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農民も少なくとも江戸時代後期は食ってたと思うぞ開発で田んぼが増え続けてたのに、年貢は増えないのは珍しくなかった。
そもそも検知も初めから実際の田んぼより小さく測られてて、藩の財政難で厳密に測り直して年貢増やそうとした藩で暴動も起きた。
2020/08/20 URL 編集
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根菜類の味噌汁とアワやヒエなどの雑穀をそれに入れたものが
ほとんど。大河の時代考証を担当してる東大の歴史学の先生が
「米を食べられたのは公家と大名と大店くらい。江戸の庶民は
雑穀入りの味噌汁だった」と言ってた。
こいつはさすがに嘘ついてると思う。
日本も朝鮮と同じで貧しかったというよりは事にしたいという意図に30円掛けます。
2020/08/20 URL 編集
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アメリカの刑務所でもインスタントラーメンが刑務所内の貨幣の代わりになってる
貨幣が使えない場所で食い物は強いわ
2020/08/20 URL 編集
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2020/08/20 URL 編集
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インフレしまくってるのに収入もお給料も据え置きなので、支配階級が一番貧しいという世にも奇妙な清貧社会だったのが江戸時代。
なので各藩は副次収入を得るために地場産業に力を入れ、これが今の御当地ブームの礎になったとか。
2020/08/20 URL 編集
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悪代官とか辻斬りもそう。
ああいった、庶民から搾取するのは
韓国の貴族の思想だね。
テレビ業界にはあっち系が多いから
祖国のやり方が勧善懲悪劇に使いやすかったのだろう。
2020/08/20 URL 編集
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なんでこんな話題にまで韓国云々言い出すのか
2020/08/20 URL 編集
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実際天草四郎だってあれは年貢重すぎの一揆だったから、貧しかったのは事実だし
農民に重い年貢を課してたのも初期。
それで藩主が切腹させられてるし。
中期にかけて農地面積UP+農学UP+品種改良+戦争で人取られなくなったし、
生活自体はとても安定してた。
生活が安定化すると少子高齢化しやすい傾向があるけど、実際江戸時代って少子高齢化してたのよね
2020/08/20 URL 編集
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2020/08/20 URL 編集
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元記事通り「サムライ」とした方が素直な理解に繋がるような気がする。
2020/08/20 URL 編集
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>日本では、1食に米1合、1日3合が概ね成人一人の消費量とされている
テキトーなウソをつくなよ
それともそう信じてるアホなの?
江戸時代以前の事を現在の食生活で語るって、アホ全開
5合/日 だよ 1石=100升=180L = 1年分
でもって、これは白米でも、玄米(黒米)でもなく、籾付きに状態(理由はもっとも保存が効くから)
なので、180L(籾付きなので容量)を玄米にしたら約160kg(比重は1.15ぐらい)、白米にしたら145kgぐらい
オマケ:
「80石 8人扶持」ってのは80石+8人分(8石)を支給する身分の侍(士分)って事
2020/08/20 URL 編集
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土木作業一日分の日当として米二升とかで人が集まった 現代の感覚で時給換算すると恐ろしいが それだけ当時には米に力があったということ(勿論古来からの神道に基づく米信仰が基調にある)
貨幣経済の興隆が 米の地位を貶めた
2020/08/20 URL 編集
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「一人」じゃ、
だいぶ違うわね。
2020/08/20 URL 編集
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江戸で白米ばかりを食べていたせいによるビタミンB1不足の脚気であった。
地方はまだ玄米や雑穀中心の食生活だったので故郷へ帰ると回復した。
2020/08/20 URL 編集
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斬首だよ、切腹すら許されなかった
2020/08/20 URL 編集
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札差は生活に必要な分だけを武家に米で渡し、残りは換金して現金で渡した
米の値段は時代とともに下がって行ったから札差から受け取る現金の額も下がって行った
2020/08/20 URL 編集
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大嘘だな。平均したら町人が一番裕福だから世界でも稀な町人文化が花開いた。東大の左翼学者が歴史を都合良いように解釈してんだろ
2020/08/20 URL 編集
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この石高を基準にして軍役の人数が決められた
2020/08/20 URL 編集
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再現したそう。蕎麦がき・漬物・メザシ・味噌汁だった。白米はそこには
なかった。
2020/08/20 URL 編集
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2020/08/20 URL 編集
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なので西日本と東日本じゃ全く食べれる米の量が違うんで、江戸時代は庶民が米を食べれないってのは間違いだ
九州なんかでは庶民農民みんな普通に米食べてたしな
2020/08/20 URL 編集
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でも貧乏な旅人でメザシはおかしくないか
メザシは手間暇かかる食品で結構高いと思うのだが
商家や一家のお世話になったときは銀シャリも出ていたと思ったぞ
2020/08/20 URL 編集
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メザシは一般の家庭ではまず出ない。紋次郎は一膳飯屋で食べてたから
メザシが出たんだろうね。
2020/08/20 URL 編集
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2020/08/20 URL 編集
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臼と杵しかなかったから籾をとると同時に糠も取れてしまうので1分づき米
それでも煮えるのに時間がかかるので、薪がもったいないから
たいてい5分づき程度にはし白米は手間がかかりすぎるのであえてやらない
江戸時代で水車で石臼を使うのが普及して白米の生産しやすくなったので
白米ばっかり食うので江戸患いとかが発生
昭和までつづき脚気が国民病といわれた
玄米食えと言われだしたのは昭和
なので玄米は食ってなかった
2020/08/20 URL 編集
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ショッボ、と思ってたんだが
3000人食わしていけるって意味なら
それなりだったのか
2020/08/20 URL 編集
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参勤交代やら賦役やらで出費の激しい大名より暮らしぶりが豊かな場合だってあった (大名の方が家格が高いため容儀を整える必要がある)
しかし千石以上となるとかなりの大物で数が限られる 武鑑にも記載されるから特定も簡単なんだが?
2020/08/20 URL 編集
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忠臣蔵の吉良さん家だって4200石とかだし(あそこは高家だから別格だが)
2020/08/20 URL 編集
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備蓄分もいつかは食わなきゃならない。
余りは売るしかない。売った金は、侍の給料にもなる。
買った商人は、米を売らなきゃ商売にならない。
誰が買うのか、町人や百姓以外で生計を立てている人たちだ。
そうやって米は市場を回るが、主食だから、日本中で必要とされる量は
あまり変わらない。なのに年貢を厳しくするのは目先の金がほしいから。
そうすると市場に出回る米が増えるから、価格は下がる。
同じように品種や技術の改良で生産量が増えると、米の価格は下がる。
米本位性に毒されてた侍の行く末は石高に頼る価値観を捨て去ることになる。
2020/08/20 URL 編集
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日本の文化はどっかの国見たいに金バラ撒いたり、工作員が自作自演で
外人達の言の葉上がるわけではない
2020/08/20 URL 編集
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>一石は一月分になった。
逆だよ。
昔の日本人は御飯をたくさん食べていたが、今の日本人は食べる量が凄く少なくなった。
2020/08/20 URL 編集
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一部ビタミンとタンパク質が不足しているくらいで、コメだけ食ってても生きていけるくらいのレベル、ただし玄米で食った場合
2020/08/21 URL 編集
お
なってねえよ。
1石=大人1人の年間消費量 =10斗=100升=1000合=180リットル
1反=米1石の収穫が上げられる田の面積 1反=10畝=360坪
しかし、一坪あたりで3合(大人の1日分)しか取れないなんて、
昔の米は実りが少ないな。100万石の国なら兵隊は2%換算だから
2万人の軍が作れるのだ。だから秀吉は検地をキッチリやった。
兵力を知るために。
2020/08/22 URL 編集
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2020/08/23 URL 編集
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バカだよね?
冷蔵庫も無い当時、籾をつけた状態の米(籾米)は長期の保存が可能、逆だよ 保存が効くから
また、コメは種一つから300粒ぐらいがとれる、水田は連作障害がないから、優れた収量を誇る (比:小麦、畑作)
玄米(黒米)なら、おかかずはイラナイぐらいに優れた栄養バランス
まあ、地域毎で主食は最適化される、満州(現在の東北部)なら高地で水が少ないのでコーリャン(粟、稗の類)、
なので粉食、饅頭、水餃子(主食)とかになる
2020/08/24 URL 編集
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天気も読まないとならないので天気予想が発達。
為替も普及して物流が大坂から江戸と荷物を持たないで流通するようになった。
人の往来が盛んになるので宿場町に旅館が増える食堂が増える、サービス業が増える。
参勤交代のおかげで道路が整備される。
2020/08/30 URL 編集
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2020/09/02 URL 編集