本格的なテレビアニメとしては国内初の、『鉄腕アトム』において試みられた静止画の多用や、動画の使い回しなどによる極端な作画枚数の節減は、欠落した視覚情報を音声で補填するものとなった。これは筆者においても重要な論題であり、ほかの文章で詳しく論じているのでここでは割愛する(詳しくは批評誌『アーギュメンツ』を参照されたい)。しかし要点だけを述べるなら、筆者は『鉄腕アトム』において開発された音声情報過多の映像は声優の起用を決定づけ、今日まで国内のテレビアニメの多くは、音声情報の解釈の手がかりとして絵図があるような映像を作ってきたものだと捉えている。音声偏重の映像となることで量産可能となったテレビアニメは、数多く専業の声優を産み、その「声」自体への需要をも育てた。 一方で、そのような声優の声はときに、著名なアニメ監督から忌避されることもあった。宮崎駿は海外のメディアの取材に対し、声優の声について「コケティッシュ」であるとして自身の作品への起用については消極的であることを示した。また宮崎は別の機会では、「声優さんの器用さに頼」ることもあるとしつつも、「存在感のなさ」に不満を漏らし、「特に女の子の声なんかみんな、「わたし、かわいいでしょ」みたいな声を出す」と指摘している( 『出発点 1979~1996』における糸井重里との対談)。宮崎は声優の声がもつ扇情的な響きを明確に批判しているのだ。以下略(リアルサウンド)海外の反応をまとめました。
kaigainoomaera
海外のお前ら 海外の反応管理人です。
政治からアニメまで色々なトピックに関する海外の反応をまとめます。
2019年7月にブログをhttps://kaigainoomaera.com/に移行しました。
旧ブログはhttp://blog.livedoor.jp/kaigainoomaera/