海外「因果応報かも」日本軍が捕虜に対して行った蛮行に海外大騒ぎ!(海外の反応) - 海外のお前ら 海外の反応



海外「因果応報かも」日本軍が捕虜に対して行った蛮行に海外大騒ぎ!(海外の反応)

grtrsgbr.jpg(スレ主)第二次世界大戦中に日本人は、アメリカ兵とフィリピン兵に96.6km歩かせた。
彼らは虐待の対象であり、食べ物も飲み物もほとんど与えられなかった。
多数の兵が命を落とし、「バターン死の行進」と呼ばれている。


海外の反応をまとめました。


バターン死の行進(バターンしのこうしん、タガログ語: Martsa ng Kamatayan sa Bataan、英語: Bataan Death March)とは、第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・アメリカ領フィリピン軍の捕虜が、捕虜収容所に移動する際に多数死亡したとされる行進のことを言う。全長は120kmで、もともとはその半分弱は鉄道とトラックで運ばれる予定であったが、計画を立てた当初の捕虜の予想数と、実際の捕虜の数に多く違いがあり、結局約83kmの距離を3日間、1日平均14kmを難民と捕虜と監視の日本兵が歩いた。ウィキペディア
https://bit.ly/2UMb4Uq
関連記事






・ああ、我々アメリカ人は誰にもこんなことをしたことがない!



・涙の道を耳にするまで待て。
涙の道とは、1838年にアメリカ合衆国のチェロキー族インディアンを、後にオクラホマ州となる地域のインディアン居留地に強制移動させたときのことをいう。このとき、15,000名いたチェロキー族のうちおよそ4,000名が途上で亡くなった。 ウィキペディア



・日本人はナチスと同じくらい酷かったことを人々は忘れがち。



・祖父と叔父がバターン死の行進を経験した。
彼らは生き延びたよ。



・祖父はバターン死の行進を生き延びた。
それから彼は日本が支配した満州にある捕虜収容所で2年半生き延びた。
本当に恐ろしい話を聞かせてくれた。



・私は今日、バターン死の行進を知らない人たちがいることを今日初めて知った。



・スレ主はずっと世間から離れて生きてきたんだね。



・これはかつては常識だった。



・スレ主は今日学んだの?
歴史の授業でずっと居眠りしていたんだね。



・つまり涙の道みたいなものか?
因果は巡るってことなのだろうな。



・涙の道2:形勢逆転。



・↑日本は植民地主義についてアメリカとヨーロッパから学んだ。
彼らの戦争犯罪は、白人の帝国主義に従っただけ。
でも白人に対して行った彼らは邪悪ってことになる。



・妻にイケアに連れて行かれることを私は死の行進と呼んでいる。



・朝鮮戦争でも起きた。
Tiger Death Marchだ。



・バターン死の行進を経験した男に遭ったことがある。
素晴らしい話を聞かせてもらった。



・ベビーブーム世代だが、近所の人がバターン死の行進を経験した。
15年経っても、彼は悪夢にうなされていたよ。
それ以上苦しんだかもしれないが、私たちが引っ越して、連絡を取り合わなくなった。



・日本人が捕虜を飢えさせ、虐待していたのは有名。



・人々が日本の戦争犯罪について知らないことに驚かされる。
彼らはヒトラーとナチスに肩を並べる。



・↑本物の犯罪について知りたいなら、ベルギーにコンゴに対して行ったことを調べろ。

kaigainoomaera

海外のお前ら 海外の反応管理人です。
政治からアニメまで色々なトピックに関する海外の反応をまとめます。
2019年7月にブログをhttps://kaigainoomaera.com/に移行しました。
旧ブログはhttp://blog.livedoor.jp/kaigainoomaera/

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