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・(スレ主)私は今日、16世紀の真田家の家長だった真田昌幸について初めて学んだ。彼は天下分け目の関ヶ原の戦いで結果がどうであれ家名を後世に残す為に、長男を徳川家に送り、次男をその敵に送り込んだ。
・ああ、勝った方にいれば、命を落とすことはないからね。
・↑金持ちや重要な人物ならね。
・そして戦場で二人は相まみれた。
「ホーホーホー!よくも私に近寄ってこれたな。弟さん?」
・↑兄は弟にさん付けしないだろ。
・どんでん返し:二人とも流れ矢で命を落とした。
・↑どんでん返し:二人とも同じ矢で命を落とした。
・上手く行った。
兄がいた方が戦いに勝った。
敗れた弟の方は囚われの身になったが、兄が流罪にしてくれたおかげで処刑は免れた。
その後、長男が家長となった。
・↑兄よりもレガシーを残した真田幸村ね。
・両側に付いていれば、トップになれる。
・↑兄弟を苦しめただろうな。
・遺伝子の賭けを回避したわけだ。いいね。
・MASHでコリアンの家族が同じことをしたエピソードがあった。
一方が北、もう一方が南の為に戦った。
・MASHはこれからヒントを得たのだろうか?
・アフガニスタンの一家が同じことをしたドキュメンタリーを見た。
息子の一人ががタリバンに、もう一方がアフガン軍に。
両方とも家に金を送った。
・るろうに剣心っぽい。
・頭がいい。プロゲーマーの行動。
・ゲームオブスローンズにも同じことをしたマイナーなキャラがいたな。
名前は思い出せないが。
・比較的よくあったことでしょ?特に家長父制で血統が重要なアジアでは。
・↑日本では比較的普通のことだった。
そうやって武家が大きな戦いを生き延びた。
コメント
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2020/12/24 URL 編集
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2020/12/24 URL 編集
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でも弟の方が有名。
2020/12/24 URL 編集
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×相まみれた
〇相まみえた
2020/12/24 URL 編集
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中国なんかだと一族郎党処刑だから一蓮托生でつるむ
2020/12/24 URL 編集
名無し
2020/12/24 URL 編集
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2020/12/24 URL 編集
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2020/12/24 URL 編集
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シンパシーを感じる
2020/12/24 URL 編集
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家康は二人とも生かしておくには危険すぎるからころすつもりだったらしい
まぁ実際その後死にかけたわけだが
2020/12/24 URL 編集
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2020/12/24 URL 編集
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シンパシーを感じる
お兄ちゃん、お金ないねんけどな?ちょっと、援助してくれへん?
と言う手紙が。
2020/12/24 URL 編集
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信之自身が家康に相当気に入られてたんじゃないの
息子にはすげえ嫌がらせされてるけど
2020/12/24 URL 編集
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実際は戦国時代に限らずいつの時代でも生き残りの知恵として使われてる方法なんだよな
まあ誰でもやれることじゃないのは確かだが
実際敵味方に別れるのは辛いことだろう
中には憎しみあいの末に分裂した家もあったろうが
2020/12/24 URL 編集
つまりまあ、かけ捨ての保険として義経の下に送り込まれたんだ。したらまあ、運命のいたずらで那須の統領になってしまったと。
兄たちを殺してはいないとこから見て、まあ、一族で示し合わせて納得でのことだったんだろうな。追放された兄が領地を構えても、咎めもせずましてや討伐もしてない、おかげで血脈は現代まで残ってるよ。
2020/12/24 URL 編集
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真田藩は明治維新で廃藩置県されるまで300年近くそのまま生き残ったのも伝えておかなくては
2020/12/24 URL 編集
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織田家なんかも有楽斎とその子は東軍で、秀信(三法師)は西軍、信雄は大坂城で傍観と勢力別れてるし
2020/12/24 URL 編集
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2020/12/24 URL 編集
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2020/12/24 URL 編集
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2020/12/24 URL 編集
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2020/12/24 URL 編集
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銅像建てたかどう立てかけた?
2020/12/24 URL 編集
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2020/12/24 URL 編集
名無し
家康公は、お家存続の為に妻・嫡男を死に致しめるたり、最上家みたいに娘を見殺しってのもある
2020/12/24 URL 編集
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それ、面白いとともに、怖いね。
左翼かぶれも演技でしかなく、主義主張なんてどうでも良くて、目的は裏から一族が国民を支配するためだったら・・・。
フリーメイソンって公言しているらしいし。
2020/12/24 URL 編集
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日本人だったら、多分みんなこのぐらいのことはふっつーに考えると思うけど。
西欧人にはそんな頭ないの???
2020/12/24 URL 編集
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それがなければ倍は生きられたものを…
2020/12/24 URL 編集
yo ♬ yo ♬
次男と父は商側、三男は周側。
三男の子孫がキングダムにも出てくる「趙」の王族。
先に死んだ長男の子孫が「秦」の王族。
だから趙王も秦王も「嬴」姓。
商の前の夏の王族も商に寝返って春秋戦国時代まで生き残っていたはず。「宋」だっけ?
2020/12/24 URL 編集
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堂々戦って負けた武将は敵方からも助命嘆願されたりスカウトされたり結構ありあり
裏切りものや民衆や部下に嫌われてると負けたとき処刑+晒し者にされる
2020/12/24 URL 編集
ななし
2020/12/24 URL 編集
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無名の弟はともかく、父の方は絶対処刑したかったろうに延命した
普通の出来事ではない
2020/12/24 URL 編集
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2020/12/24 URL 編集
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勝鱗太郎が海軍トップになった。ちなみに海軍が置かれたのが真田家の敷地だった。
今の愛知淑徳大の先生が末裔だな。弟の流れは仙台藩士になった。
2020/12/24 URL 編集
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まぁ、昌幸は有能過ぎて家康に嫌われたけどね。
2020/12/24 URL 編集
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昌幸パパも子供作っていて仕送りしてたお兄ちゃんに同情するわ。
2020/12/24 URL 編集
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家制度は重要だったけど、GHQや左翼に目の敵にされて日本の出生率は下がっていった。
2020/12/24 URL 編集
名無しよん
那須資隆が、やはり意図的に同じようなことをしたというような話はなかったんじゃないか。子どもたちのうち9人が平氏側につき、与一ともう1人が源氏側についたのは、それぞれ個別の主従関係やしがらみや判断によるものだったと思う。計画して双方に分散させたわけではない。
2020/12/24 URL 編集
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雰囲気があって、観光にぴったりの場所ですよ。明治以降に真田家が住んでいた真田邸なども残っています。あと、有名な松代藩士としては、佐久間象山がいますね。
兵庫からわざわざ行く価値のある場所でした。
2020/12/24 URL 編集
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さんざん徳川に煮え湯を飲ませておきながら処刑されずにすんだのはやっぱり兄のおかげなんだろう
しかし、もしも西軍が勝って兄が捕まってた場合、果たして二人は兄の処分をどこまで必死に求めただろうか
それよりも領土を拡大できるだけで拡大することのほうを優先しそうでそれが怖い
2020/12/24 URL 編集
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2020/12/24 URL 編集
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合戦シーン以外
2020/12/24 URL 編集
名無しさん
2020/12/24 URL 編集
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息子が東軍に親父が西軍に荷担したが
息子が戦功と引き替えに親父の赦免を勝ち取ったが
親父はすでに責任を取って切腹していた
2020/12/25 URL 編集