日本人が見ると涙ぐんでしまう写真に海外が共感!(海外の反応) - 海外のお前ら 海外の反応



日本人が見ると涙ぐんでしまう写真に海外が共感!(海外の反応)

海外の反応をまとめました。


関連記事





・日本人が見ると涙ぐむ写真。



・日本人でなくても泣く。



・私は今日自分が日本人であることを初めて知った。



・今でも心が痛む。



・いやいや、結構だ。アニメで十分泣いたので。



・マジかよ。実写版があったのか。



・この映画を見て泣いた。



・私が好きなアニメの一つ。
実写版は見るに値するの?



・どうして実写化するんだ。





・この映画が好きだが、もう二度と見ない。私の心は砕け散った。



・もう二度と見ることができない。今まで見た中で一番悲しい映画。
悲しみは空の彼方に、マダムX、めぐり逢いを圧倒的に凌駕する



・アニメですでに心が折れそうなのに、なぜ実写にしたのだろう。



・こんな悲しいことが世の中に必要なの?



・アニメを見ていて心が折れそうになった。



・素晴らしいアニメです。一回しか見てない。2度目は耐えられない。



・一回観ただけで、十分すぎるくらい。一日中気持ちが沈んだことをを思い出した。



・アニメ版を何度も見る気にもなれない。実写版は見るに耐えない。美しいアニメだが、今まで見た中で一番悲しい映画。



・この映画を見る勇気はなかったし、これからもないだろう。傑作を逃してしまったという気持ちもあるが、私がこれを見たら何日もボロボロになることは分かっている。
アニメであろうとなかろうと。



・とても悲しい映画だ。
アニメ版よりもさらに。



・一度しか観ないけど、ずっと覚えていたい映画。

コメント

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実写化したのは当時こんな話が数え切れないほどあったからだろ。
確か実写版は見たけど高畑勲の100分の1の価値もなかった。

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私たち日本人の美化映画ですね

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蛇足としか思わんけども

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火垂るの墓とフランダースの犬は二度と見ない

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火垂るの墓で泣いたことが無い。
何を思って悲しめば良いのか、何処に泣く要素があるのか、初めて見た時から今になっても少しも分からない。

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↑↑↑
あんた鬼かよ

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火垂るの墓が好きなのは外人のが多いだろ

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自分も若いころは泣かなかったな
むしろ泣かせないようにドライな作り方をしてるんだなと思ったくらい
今はどっちかというと火垂るの墓を見て泣いてる人を見てつられ泣きするw

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二度と観ないって人多いけど逆に自分はテレビであったら必ず観てる

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焼き場に立つ少年の写真の話かと思ったら火垂るの墓かい

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年とってから見ると、涙腺がヤバい。
たぶん爺ちゃんになった時には、タイトルだけで泣く。

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まったく泣けない。イライラする

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俺も若い頃は泣きはしなかった。
でも自分の子供が出来るとダメだな。

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小学生で初めて見たときは悲惨な映画と感じた。
大人になって見たら清太のクズさ加減に驚いた。
一方的弱者で被害者ではなかったのか?
これほど自分の中で評価が変わった映画はない。

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これで泣くのは米軍兵のほうだろう

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ウチのジッジが清太と同じ歳だったけど、あの頃は予科練に通いながら、末っ子で兄達は当時は何人かは出征してたとか。食べるモノが無いから、隠れて何度も盗み食いして、実際は他の兄弟を労わる余裕も無かったらしい。
自分が食う事に必死な時代で、この映画では清太はよく妹の面倒みてる優しいお兄ちゃんだと思うよ。だから実際この時代を生きた人にとっては逆にフィクション臭いかもな「こんな優しく面倒見れる余裕ねーよ自分が餓死するかもなのに」みたいな。

-

子供の頃「なんて冷たいオバさん達だ!清太や節子が可哀想!」
少し成長「オバさん達の苦労が理解出来る。清太が世間知らず」

現在「なんで周りの大人が清太を諭して導いてあげないんだよー…。清太はまだ14歳なんだよ…なんも知らないんだよ…教えてあげればいいじゃない…」
ってなった。清太はボンボンの世間知らずなだけで、家でゴロゴロしてる描写はあったけど、教えればちゃんと吸収する下地はあったと思うんよな。しかももう14歳だから、ちゃんと仕事教えれば何かと戦力になっただろうし。
まぁ戦時下という特殊な状況下ではあったものの、あの家族ももうちょっと上手くやれんかったんかいって思う。

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食うに困ったこともなく、言われるがままにレールに乗って育った人は理屈でしか物事を把握できない。学校って理屈しか教えないよね。
そうなると理解できないかもね。

貧乏は買ってでもしろ、可愛い子には旅をさせろと言うが、それは理屈で物事は成り立ってないことを実体験で知る為。頭がじゃなくて心で知る為。
今の人は頭ばかりだから心が動かないんだと思う。

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清太は妹のために叔母さんに謝って家に置いてもらうべきだったというタラレバは意味が無いよ。
清太は当時の大日本帝国の擬人化なんだから、日本は早々に降伏して負けを認めるべきだったということと同じくらい不可能なこと。
日本が負けを受け入れず戦争を長引かせたことで国民の犠牲者を増やしたことと清太の現実逃避の結果による節子の死がリンクしているのは製作者の意図だと思う。

-

清太は日本人の拙さの象徴、節子は純粋さ・幼さの象徴であり、清太と節子の死は日本人の中にあった幻想が敗戦によって死んだことを表している。
日本人の中には神の国というプリミティブな幻想、神風が吹いて最後には戦争に勝つと深層心理のどこかに信仰があったが、それが敗戦を受け入れがたいものにしていた。
それまでの連勝が日本人を開戦に勢いづかせ、国体護持と合わさって結果的に原爆によるとどめを刺されるまで戦争を長引かせた。
歴史的な結果が日本の敗戦で終わるのであるから、火垂るの墓がハッピーエンドで終わることはあり得ない。

 

うちのじっじの話なら…
満州から乳飲み子のじっじを抱えて帰ってきたじっじ方のばっばは、


その後、姑による頭のおかしいレベルの嫁イビリにあったんだぜ…戦争ってやだよな(身近な話)

-

別の見方をすると火垂るの墓は兄と妹の心中物語であるとも言える
大日本帝国は戦陣訓で国民を洗脳し、捕虜になるくらいなら死を選べと教えたが、これは敗戦時には国民を道連れにする無理心中を意味する
清太も両親の死や助けてくれない大人たち、飢えや現実に絶望し妹を残して逝くよりも妹を道連れに無理心中を図ったのだと見ると理解しやすい
はじめから死ぬつもりで叔母さんの家を出たのだとしたら、清太の行動は死が避けられない結果だったと言える
何の罪も無く道連れの犠牲になった妹は戦争の被害にあった無辜の人たちを象徴しているのかもしれない
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kaigainoomaera

海外のお前ら 海外の反応管理人です。
政治からアニメまで色々なトピックに関する海外の反応をまとめます。
2019年7月にブログをhttps://kaigainoomaera.com/に移行しました。
旧ブログはhttp://blog.livedoor.jp/kaigainoomaera/

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